“「子育てつどいの広場うんどう会」を開催”
市内の子育てつどいの広場が合同で「子育てつどいの広場うんどう会」を開催しました。乳幼児の親子約100組が参加し、体操や玉入れ、障害物競走等、伸び伸びと体を動かし、親子でのふれ合いを楽しみました。参加していた子どもはもちろん、保護者の人たちもたくさんの笑顔が溢れていました☆
と、今日のたつの市役所のFacebookに投稿されていましたので、先日の市長選挙で市民の方から『子育て支援に熱く住民対話を大切にされて感銘を受けています」と応援メッセージを受けておられました栗原氏も顔を出されていると思っていましたが、市に問い合わせたところ、欠席をされていたそうです。
選挙までは、余程のことが無ければ栗原氏本人が参加されていたそうですが、落選をされてからは市民とふれ合うようなイベントや会合には一切参加されないようですが、市民のみなさまはどの様に思われますでしょうか?
『応援は力!私たちも応援しています!』『自信を持って推薦します』と兵庫県知事をはじめ代議士や市民のみなさま、地元優良企業・多くの市議会議員などから支援や応援を受けておきながら、落選すれば栗原市政を全うせずに、市民から逃げてばかりでは、栗原氏に支援や投票をして下さった多くの方に対しての侮辱ではないかと考えてしまいます。
私も、傷口に塩を塗るようなことは言いたくないですが、栗原氏の後援会長が「未来を託するにふさわしい人」と選挙選で市民に訴えておられたのは一体、何だったのでしょうか。
今月29日、栗原氏が肝いりで進めておられた重要施策でもあるJR竜野駅周辺整備事業の場で行われる「竜野駅ふれあいフェスタ」や11月3日(祝)に開催されます栗原氏自身が市民まつりから新たに名付けた「たつのふるさとフェスタ」にも参加しないということは、市長としての責務を放棄したとして捉えられても仕方がないでしょう。
これらのイベントには小西副市長が代行で参加をされるようですが、ふるさとフェスタではまるで小西副市長の退任を祝うかのようなオープンカーでのパレードになるのかと思うと本当に情けなくなります。
いっそのこと、オープンカーの後部座席に立って襟裳岬を歌いながら市民に手を振っていただきたいものですし、2期目の副市長は栗原氏に選任して貰っているのであれば、女房役として「市長!私も教育長も一緒にパレードに参加しますので逃げずに最後まで頑張りましょう!」と言うべきではないでしょうか。
余談ではありますが、私自身も、龍野実業高校土木科を留年しながらも卒業を何とかしましたが、当時は、恥ずかしいやら情けないやらの相当な思いをしてきましたが、逃げずに何とか卒業をしたことで今があると思っています。
また、今でも当時の留年した時の夢を見ることも度々であります。
私は、この様な栗原氏の性格を知り尽くしていましたので、これまでのような言行動に至っていましたが、これで終わるかと思えば本当に市民のみなさまの為にもなったんだなと本心は一安心をしています。
このような栗原氏を、たつの市議会議員の中で、赤木和雄市議を先頭に、「柏原 要・野本利明・北川憲一・原田研一・永富 靖・柳生陽一・桑野元澄・今川 明・龍田 惇・横田 勉・木南裕樹」 以上の市議が「自信を持って推薦をします」としていました。
ならば、最後の最後になって市長としての責務を放棄をするかのように、市民との触れ合いを重視していた栗原氏に対して一言でも小西副市長同様に、助言をしてあげるべきではないでしょうか。
それでこそ、何があっても今まで栗原氏を庇って来たある意味同志ではなかったのではないでしょうか。。
確かに、人生挫折を味わったことの無かった栗原氏が、この度の市長選で落選をし屈辱的な思いをしておられることは察しますが、「8万にの命を預かる立場」と言ってきた以上、11月12日までの任期を全うして頂けなければ、これまでの4年間は栗原氏が常日頃から言い続けていた「市民が主役」が、絵に描いた餅と化してますので、お隣の前北川太子町長のように最後まで住民に寄り添って頂きたいものです。
最後に、この4年間、栗原氏と敵対してきましたが、今となれば失ったものの方が多いいですが、得たものもたくさんあります。
栗原氏のお蔭で嫌われることも慣れてしまってはいけないですが、慣れてしまったのも事実です。
また、高校を留年したとき程ではないですが、少々の恥ずかしいことも苦にならないようにもなりました。
ある意味人間的に強くなったのか馬鹿になったのか分かりませんが、ここまで来たら何とかこのまちの為に人生を注げたら本望かもと今現在は思っています。
コニタン11月3日は、3人でパレードに参加して頂けることを願っています。
選挙である以上、必ず当選するとは限りません。「市民が主役」とうたいながら市民の気持ちを汲み取ろうしなかった結果です。
そんな栗原市長の性格も見極める事が赤木市議はじめ他の市議にも同じ事が言えるのではないでしょうか?
何期も務めて飽きられて市長交代はよく耳にしますが…。
ある意味たつの市史上に名前を残したのでは!?